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原宿駅旧駅舎  

 大正末期に建てられた都内最古の木造駅舎

    四方に向いた三角屋根・尖塔に立つ風見鶏

 白壁に柱や梁をむき出しにしたハーフティンバーと呼ばれる西欧建築様式。創建当時は明治神宮の玄関口として利用された。

  竣工 1924年(大正13年)
  所在地 東京都渋谷区神宮前1-18
  構造 木造二階建て

  「若者の聖地」東京・原宿のシンボルと親しまれたJR山手線の原宿駅旧駅舎・大正末期に建てられた都内最古の木造駅舎は戦火を乗り越え時代の移り変わりや人々の行き交いを見続けて2020年3月(
8/24解体工事開始)まで九十六年の歴史の幕をを静かに閉じる。
 当時の時代背景について、鉄道総合技術研究所の小野田滋さんは「郊外や田園都市思想が広がり、西洋の生活様式も庶民に浸透し始めた。牧歌的な外観の木造建築は人々に受け入れやすかったのでは」と解説している。

 奇跡的なエピソードも残る。旧国鉄が編纂した「」原宿駅のしおり」によると、戦時下の四五年四月の空襲で約十発の焼夷弾が駅を直撃するもすべて不発で焼失を免れた。一帯は焦土と化したが高度経済成長ととも復興を遂げ、六四年の東京五輪では駅から徒歩5分の国立代々木競技場が水泳などの競技会場jとなり、多くの人々が訪れた。やがて駅近くの車道が「歩行者天国」として開放されるようになり。、「竹の子族」や「ローラー族」といった若者が集まった。ファッション店やスイーツ店などがひしめく竹下通りや表参道エリアへのアクセス拠点ともなり、旧駅舎は街のシンボとしてあり続けた。
 そんな駅舎も老朽化が進み、防火基準を満たしていないことからも解体が決定、2020年3月、南側に立つ新駅舎にバトンタッチし営業を終えた。JR東日本によると創建当時から使われているステンドグラスなど旧駅舎の資材も使い外観を再現した建物を復元保存予定だという。